2007年 11月 18日
時間(ルーチンワークと一瞬の話)
母親が家に来た時には既にその作業をしていたというから、少なくとも35年以上前からということになる。その間に我が家はお店に行く世代が3代変わり、私の思い出せうる限り最も古い記憶の中にあるお店の人も今はもう無い
特に話す訳でもない、いつもと同じ銘柄を指差し店の人は黙々と袋に詰めて手渡す。それだけだ。そしてその茶を3ヶ月間かけて消費し、また店に行く。人は変わり景色も変わった。買う人間も売る人間も共に変わった。でもそのルーチンワークは3ヶ月に一度繰り返される。
そんなルーチンワークを今日もしに築地に行った。
帰りにギャラリー小柳 野口里佳 「マラブ・太陽」へ
マラブという名前は失念していたが、「マラブ」という鳥の特徴とビジュアル(太くてごつい脚)は覚えていたので ああなるほどあの鳥かと ピンホールで撮られている動かない鳥。
見た後にふと思ったのだけれども、
写真とは光で一瞬を撮る物としてだと仮定して
例えば鼠と象で一瞬という時間は変わるだろう、人間でも生まれてから死ぬまで常に1/125とは思えない。、そしてこの止まる鳥にとって一瞬はピンホールでも撮りえた、通常では一瞬と同義の光がぶれることにより写真という存在に矛盾が生じる。
被写体という物にとっては一瞬でも世界にとって一瞬ではない。 それは何?という問題提起
考えすぎか、、
終わったあとに 防湿庫の整理
by mono-photo | 2007-11-18 01:23 | 無し